DSpace
   聖路加国際大学図書館 聖路加国際大学   

SLIU Repository >
聖路加看護大学紀要 >
10号 >

Please use this identifier to cite or link to this item: http://hdl.handle.net/10285/155

NII Resource type: Departmental Bulletin Paper
Title: 開学満20周年記念特別寄稿 極東における看護教育(その1) Rockfeller Foundation Archive(1921-1930)からの翻訳 Nursing Education in the Far East. Translation of Rockfeller Foundation Archive(1921-1930)
Authors: 日野原, 重明
Shimei: 聖路加看護大学紀要
Issue: 10
Start page: 1
End page: 10
Issue Date: 1-Dec-1984
ISSN: 02892863
Abstract:  現在の聖路加国際病院と聖路加看護大学とは、現在、前者は財団法人、後者は学校法人としてそれぞれ独立した法人施設であるが、ルドルフ・ボーリング・トイスラー医師によって創設された病院と看護教育の学校とは、そのルートは一つである。 次号の紀要に続くこの報告書は、トイスラー院長とロックフェラー財団との間にどこような交渉がもたれ、その中で日本の看護教育がどのように受けとめられたか、そのいきさつが具体的に示されている。 トイスラー先生は明治33年(1900年)1月に米国聖公会の宣教医師として来日され、同年4月には、将来の看護教育の日本の指導者をつくるために荒木イヨ氏を米国へ留学させ、明治35年(1902年)には明石町築地に20床の聖路加病院を開設し、看護婦養成の場を作られた。 明治45年(1912年)には病院を4階造りの建物とし、チャペルも併設された。この病院建築には大正天皇の御内帑金5万円が建築資金援助として下賜され、一方米国の教会信徒や資産家から多大の寄附があった。 これはトイスラー院長の非常な努力によるものであるが、トイスラー院長はこの頃からロックフェラー財団に接触をもたれ、看護教育事業に経済的援助を受けることに懸命に努力された。 本報告書はRockfeller Foundation Archivesに載せられた1921-1930年間の報告書の前半である。 大正9年9月(1920年)には聖路加国際病院附属高等看護学校が開設され、看護婦のセントジョン夫人が主事として迎えられた。この1年前の1919年には米国のジョンズ ホプキンズ大学の看護保健学科では看護のマスター15人とバチェラー15人が出たのである。 昭和2年(1927年)にはわが国最初の看護の専門学校として聖路加女子専門学校(本科3年、研究科1年)が認可された。 これが戦後昭和29年に聖路加短期大学となり、昭和39年には聖路加看護大学となった。昭和55年には大学院看護学研究科に修士課程が作られるに至った。 本学がその揺籃期の中で、トイスラー院長とロックフェラー財団とがいかなる交渉をもっていたかをこの報告書は示すものであり、大学の前身の歴史の実体を知る上で有益な資料となるものと思う。
URI: http://hdl.handle.net/10285/155
Appears in Collections:10号

Files in This Item:

File Description SizeFormat
20010302160512319219001.pdf1.08 MBAdobe PDFView/Open

Items in DSpace are protected by copyright, with all rights reserved, unless otherwise indicated.

 

Valid XHTML 1.0! DSpace Software Copyright © 2002-2010  Duraspace - Feedback